ヴィットーレ カルパッチョのファンタジーの世界/ライオンと聖ヒエロニムス/サンジョルジョ信徒会/ヴェネチア

恐竜を退治する聖ジョルジョ/カルパッチョ

恐竜を退治する聖ジョルジョ/カルパッチョ

カルパッチョのファンタジーの世界/ライオンと聖ヒエロニムス

 

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「聖ヒエロニムスとライオン」/カルパッチョ/スキヤボーニ信徒会(サンジョルジョ信徒会)

 

スキヤボーニ信徒会の中の1500年の初めに描かれたカルパッチョの「聖ジョルジョの伝記」などの一連の絵はカルパッチョの絵の中でも最高の名作と言っていいものです。

「聖ヒエロニムスとライオン」ヴィットーレ カルパッチョ 1502(?)/一部

「聖ヒエロニムスとライオン」ヴィットーレ カルパッチョ 1502(?)/一部

今日は、そのうちの一つ、「聖ヒエロニムスとライオン」のエピソードを紹介します。

こうした話しはそのころの人々にとってはほとんど誰でも知ってる、道ばたや居酒屋などでも話される物語でしたが、今の私たちにとっては、遠い物語です。それでも、ファンタジーに富んでいて、聞いてるだけで微笑んだり、うっとりしたりする童話のような要素を含んでいて魅力的な話しです。

カルパッチョは、この聞いている人の感動をそのまま絵にすることのできた稀な才能の画家でした。というより、カルパッチョの絵の前でこそ、こうした物語が生き生きと再び語りを始めると言っていいものです。物語を知って、カルパッチョの絵の前に立つと、この世界から、ほんとうにその現実にはあり得ない向こうの世界に突然連れ去られてしまいます。そんな奇跡が起こるのがこの聖ジョルジョ信徒会のカルパッチョの絵です。

年を取ったヒエロニムスは砂漠での隠遁生活をやめて修道院で他の修道士達との共同生活を選びます。ある日この修道院にライオンがびっこを引きながらやってきます。ヒエロニムスは、修道士達にライオンの足を洗ってやって、どうしたのかを探るように言い渡します。実は棘が刺さっていて、ライオンはヒエロニムスの前ではおとなしくなって、怪我した手を差し出して、ヒエロニムスはその棘をとってやることができます。

ライオンはとてもなついて、修道院から出ていこうとしません。ヒエロニムスはライオンは神がきっと必要を考えて贈ってくださったものだと考えます。こうして、ライオンは修道院で必要なものを毎日運ぶロバの見張り役が言い渡されます。修道士達は最初は信頼しませんが、ライオンはこの役を毎日忠実に行って、夕方にはロバを連れて必ず帰ってくるのでした。修道士達は最初の頃の考えを変えて、ライオンを修道院の一員として扱うようになります。

そんなある日、道の途中でロバに草を食べさせたりして休んでいる時、うっかりライオンは眠りに落ちてしまいます。この隙を狙って、らくだを引いて通りかかった商人達が、荷をつけたロバを連れて行ってしまいます。目が覚めて、ロバがいないのに気付いたライオンは、一生懸命探しますが見つけられず、夜遅くショボショボと申し訳なさそうに修道院に帰ってきます。修道士達はやっぱりライオンだからロバを食べてしまったに違いないと言います。ヒエロニムスから罰としてロバのしていた役をするように言い渡たされたライオンは、ロバの代わりにその日から毎日背中に荷を乗せて行っては帰って来るようになりました。

ある日いつものように荷を背負って歩いている時、ふと遠くの方を見ると、たくさんの荷をらくだの背に乗せてロバを連れて行く商人達が見えます。あのロバを盗んだ商人達でした。ライオンは急いで商人達の方に向かって走りはじめます。

一方この頃修道院では、ヒエロニムスは修道士達にもうすぐ客が来るから、この人々を洗ったり、食事の用意をするように、いいつけます。修道士達は訳はわからないのですが、客を迎える用意につきます。

ライオンが走って来るのに驚いて、恐怖とパニックに落ちた商人達は、何もかも置き捨てて修道院に逃げ込みます。

ライオンはらくだとロバを連れて、誇り高く修道院に帰ってきます。 みんなの間に戻るとライオンはあまりの嬉しさに、『それぞれの修道士の足の上に体を投げだしながら、修道院の中を背中で転げ回りながら、犯してもいない罪の許しを乞うように、尾を降り続け』ました。(ヤコポ ダ ヴァラジネ「黄金伝説」/聖人記)

商人達は、ヒエロニムスの前に跪いて、許しを乞います。ヒエロニムスは商人達を立たせ、これからは人のものを盗まないようにさとし、自分たちの荷を持って、来た道を旅していくよう言い渡します。

商人達は、らくだに積んであった油を半分修道院に寄付し、これからも毎年同じ料の油を収めにくることを約束して去っていきます。

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恐竜を退治する聖ジョルジョ (一部)/カルパッチョ

 

スキヤボーニ信徒会は、ダルマツィア(今のクロアチア、モンテネグロなど)から来た人々の集まりでした。ダルマツィア人達は古い時代からヴェネチアに忠誠な民族でもあり、ヴェネチア人達が最も信頼していた外国人でもありました。

ダルマツィア人達は1400年ぐらいからは経済的にも社会的にもヴェネチア社会の中で認められるようになります。

1451年には正式に共和国から信徒会(スクオーラ)として認められ、信徒会会則書(マリエゴラ)が、決められます。

(Gentili 1996、2006 参照)

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筆/ヴェネチア 公認ガイド 田口やよい

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