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ヴェネチアのカーニバル プログラム 2017年2月11日-28日
ヴェネチアのカーニバル プログラム
2017年2月11日-28日
2月11日 (土曜日)
Rio di Cannaregio
18時-18時30分ヴェネチア水の上のお祭り (第一ショー)
カンーニバルのスタートを切って、船に乗った仮装行列がRio di Cannaregioから出発して大運河を行きます。
ミュージック、ストリートフッド(屋台)など。
20時-20時30分
ヴェネチア水の上のお祭り (第ニショー)
ミュージック、ストリートフッド(屋台)など。
船仮装行列
2月12日 (日曜日)
Rio di Cannaregio
11時-14時
ミュージック、ストリートフッドなど。
12時船行列
2月18日(月曜日)
11時
12時-13時 30分
San Marco
カーニバル仮装コンクール
15時 Via Garibaldi- San Marco
マリエの行列
(12人のマリア、過去のヴェネチア衣装を着た12人の若い女性の行列)Via Garibaldiから始まって、Schiavoni追悼を通り、San Marco 広場に着く。
14時30分-16時 30分 San Marco
マリエの行列を待ちながら
伝統アクロバットなど。
16時マリエのおまつり:昔のようにドージェが12人の若い女性に贈り物をします。かってこの”マリエ”に選ばれた女性たちには、将来結婚することできるように、ドージェから財が贈られた。(財を持たない女性は結婚することができなかった)
17時 San Marco
伝統ヴェネチアダンス
21時 Palazzo Vendramin Calergi
公式夕食会 (要予約/要仮装/1700年代衣装/400ユーロ/人)
www.pietrolonghi.com (貸し衣裳)
tiketing@velaspa.com (参加予約)
23時 Arsenale
“アルセナーレカーニバル大オープニングショー”
https://goo.gl/o6ne6P www.facebook.com/events/1880199275570446
https://www.facebook.com/events/1880199275570446
2月19日
11時12時 San Marco
天使の飛行を待ちながら
仮装コンクールなど(11時、17時)
ミュージックなど
12時-13時
天使の飛行
カーニバル、正式オープンニングショーと言ってもいい。塔の上から、伝統ベネチア衣装を着た女性が綱を伝って降りてくる。古代は勇気を見せるために、ドージェ宮殿で待ってるドージェの近くに、舟大工師、芸役者などが飛び降り芸をした。
21時 Palazzo Vendramin Calergi
公式夕食会 (要予約/要仮装/1700年代衣装/400ユーロ/人)
www.pietrolonghi.com (貸し衣裳)
tiketing@velaspa.com (参加予約)
2月20日
11時 San Marco
仮装コンクール
15時 San Marco
仮装コンクール
21時 Palazzo Vendramin Calergi
公式夕食会 (要予約/要仮装/1700年代衣装/400ユーロ/人)
www.pietrolonghi.com (貸し衣裳)
tiketing@velaspa.com (参加予約)
2月21日
10時半
天使を待って(舞台) San Marco
12時
天使の飛行 San Marco
2月7日
10時半
鷲を待って(舞台) San Marco
12時
鷲の飛行 San Marco
15時 San Marco
カーニバル仮装コンクール
21時 Palazzo Vendramin Calergi
公式夕食会 (要予約/要仮装/1700年代衣装/400ユーロ/人)
www.pietrolonghi.com (貸し衣裳)
tiketing@velaspa.com (参加予約)
2月22日
11時
San Marco
カーニバル仮装コンクール
15時 San Marco
カーニバル仮装コンクール
21時 Palazzo Vendramin Calergi
公式夕食会 (要予約/要仮装/1700年代衣装/400ユーロ/人)
www.pietrolonghi.com (貸し衣裳)
tiketing@velaspa.com (参加予約)
2月23日 (木曜日)
11時
San Marco
カーニバル仮装コンクール
14時 San Marco
牛の首切り祭り
1162年ドージェ、ミケレ ヴィターレが、陸地のウルリコ司教の反乱を抑え、その勝利を祝った古い儀式によるもの。敗北した司教は、牛と12のパン、12匹の豚を毎年贈ることが義務付けられ、祭りの日には、最後牛の頭きりで終わるという昔の儀式を真似て、もちろん人形の牛の頭が切られる見世物。
カーニバル仮装コンクール
21時 Palazzo Vendramin Calergi
公式夕食会 (要予約/要仮装/1700年代衣装/400ユーロ/人)
www.pietrolonghi.com (貸し衣裳)
tiketing@velaspa.com (参加予約)
23時 Arsenale Tese 93 , 94 (サンザッカリアからバポレット4.1 降り場 Bacini
(23日木曜日から28日火曜日までノンストップアルセーナレの夜-23時から)
木曜日 シークレットパーティーなど
ミュージック
バール
24日 (金曜日)
10時 Ateneo Veneto
衣装展示会 (19日から28日まで 10-13- 14-17時)
11時 San Marco
カーニバル仮装コンクール
15時 San Marco
カーニバル仮装コンクール
21時 Palazzo Vendramin Calergi
公式夕食会 (要予約/要仮装/1700年代衣装/400ユーロ/人)
www.pietrolonghi.com (貸し衣裳)
tiketing@velaspa.com (参加予約)
25日 (土曜日)
10時 Ateneo Veneto
衣装展示会 (19日から28日まで 10-13- 14-17時)
11時 San Marco
カーニバル仮装コンクール
15時 San Marco
カーニバル仮装コンクール
21時 Palazzo Vendramin Calergi
公式夕食会 (要予約/要仮装/1700年代衣装/400ユーロ/人)
www.pietrolonghi.com (貸し衣裳)
tiketing@velaspa.com (参加予約)
23時 Arsenale Tese 93 , 94 (サンザッカリアからバポレット4.1 降り場 Bacini
(23日木曜日から28日火曜日までノンストップアルセーナレの夜-23時から)
パジャマパーティー
ミュージック
バール
26日(日曜日)
10時 Ateneo Veneto
衣装展示会 (19日から28日まで 10-13- 14-17時)
11時 San Marco
カーニバル仮装コンクール
12時 鷲の飛行
伝統コスチュームで塔の上から、女性が綱を渡って降りるショー
15時 San Marco
カーニバル仮装コンクール
21時 Palazzo Vendramin Calergi
公式夕食会 (要予約/要仮装/1700年代衣装/400ユーロ/人)
www.pietrolonghi.com (貸し衣裳)
tiketing@velaspa.com (参加予約)
23時 Arsenale Tese 93 , 94 (サンザッカリアからバポレット4.1 降り場 Bacini
(23日木曜日から28日火曜日までノンストップアルセーナレの夜-23時から)
ミュージック
バール
27日(月曜日)
10時 Ateneo Veneto
衣装展示会 (19日から28日まで 10-13- 14-17時)
15時 San Marco
カーニバル仮装コンクール
15時30分 Rialto Mercato
リアルトのカーニバル
ライブミュージックなど
16時30分
Atelier Pietro Longhi
ホットチョコレート
(参加費用100ユーロ)
21時 Palazzo Vendramin Calergi
公式夕食会 (要予約/要仮装/1700年代衣装/400ユーロ/人)
www.pietrolonghi.com (貸し衣裳)
tiketing@velaspa.com (参加予約)
23時 Arsenale Tese 93 , 94 (サンザッカリアからバポレット4.1 降り場 Bacini
(23日木曜日から28日火曜日までノンストップアルセーナレの夜-23時から)
ミュージック
バール
28日(火曜日)
10時 Ateneo Veneto
衣装展示会 (19日から28日まで 10-13- 14-17時)
15時 San Marco
カーニバル仮装コンクール
15時 San Marco
マリエの行列を待って
16時
ミスマリア選別 授賞式
15時30分 Rialto Mercato
リアルトのカーニバル
ライブミュージックなど
17時
ライオンの飛行 San Marco
カンーニバル最後の日を祝って、共和国の時代の旗が塔の上から下ろされる。
21時 Palazzo Vendramin Calergi
公式夕食会 (要予約/要仮装/1700年代衣装/400ユーロ/人)
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tiketing@velaspa.com (参加予約)
23時 Arsenale Tese 93 , 94 (サンザッカリアからバポレット4.1 降り場 Bacini
(23日木曜日から28日火曜日までノンストップアルセーナレの夜-23時から)
ミュージック
バール
ビエンナーレ ヴェネツィア 国際建築展 2016年
ビエンナーレヴェネツィア 国際建築展 2016年
5月28日から11月27日まで
場所/Giardini, Arsenale
時間/10時-18時 金曜日、土曜日のみArsenale のみ夜20時まで
“Expanded eye”が今回のビエンナーレのキャッチワードです。視界を広めて、高所から世界を観察する目。
今回のビエンナーレのディレクター、アレハンドロ アラヴェーナは英国の作家の、ブルース チャトウインの旅を応用して、今回のテーマを説明します。
ブルース チャトウインが南アメリカを旅している時、砂漠でアルミニュームのはしごを持った年取った女性に会います。ナスカの地上絵を研究しているドイツの考古学者、マリア ライヒエでした。ナスカの地上絵は非常に高い場所からしか全体が見えない、今でも何のために描かれたかははっきりとしていないインカ以前の巨大絵です。
ナスカの地上絵のように、高い場所から建築の全体を見て、その方向を探求していこうというのが今回のビエンナーレの意向だと言います。
社会と建築との間に大きなギャップができてしまった今、権利や富の不平等性、発展から取り残された地域、最低限の医療制度へのアクセス、自然災害、住居不足、移民、インフォーメーションの自由、犯罪、密輸、浪費、環境汚染などの問題をこの特別の視点から考え直そうというのが今回の提案です。
実現できるプロジエクだけではなく、プログレスをテーマに、障害となるもの、問題点、新しい素材など、実際の現象をまた同時に検討し直そうという野心に満ちた展示会です。
37国からの88のグループ、アーキテクトなどの参加メンバーを集めて、このうち50人が40歳以下という年齢層も若いビエンナーレです。
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筆/ヴェネチア 公認ガイド 田口やよい
ヴェネチア観光/ http://www.veniceguidetour.com
イゴール ミトライの展示会とポンペイ
イゴール ミトライの展示会とポンペイ
展示会(2016年5月15日から2017年1月まで)
現代の最も重要な彫刻家の一人、2014年に亡くなったイゴール ミトライの展示会が5月15日からポンペイで始まりますが、すでに有名な名作「デダルス(ダイダロス)」などが、ポンペイ内のヴェーナスの神殿の近くに設置されました。
この他にも大劇場の裏から、アボンダンツァ通り、フォロ(広場)、サビアーネ浴場の庭などに、28の作品が展示されています。
イゴール ミトライは、1944年にドイツで生まれますが、第二次世界大戦の終わりに、家族はポーランドのクラコビアの近くに移住します。
ポーランドで、ベッレアルテアカデミーに通い、有名な画家、タデウス カントールについて、学びます。その後、パリに移り、パリナショナルベッレアルテアカデミーで学びます。
メキシコを旅した後、再びパリに戻り、1974年初めて彫刻の作品も出展し、大きな反響を呼びます。
この成功の後、彫刻に専念するため、パリにアトリエを持ちます。最初の頃は粘土とブロンズの作品に集中しますが、1979年イタリアのカラーラを訪ねた後は大理石とブロンズの作品に専念するようになります。
1983年からイタリアのピエトラサンタに移住し、パリの家と、両方の街を、行き来して住むようになります。
スタイルとしてはクラッシックな作品は、人体の一部が欠けていたり、一部だけだったりして、ポストモダンな作品になります。イゴール ミトライ自身はネオクラッシク様式などを否定して、古典的な作品からは距離を置きます。
「デダルス」などの巨大な作品が、廃墟や、都会の真ん中などに置かれると、周りの空間を完全に変化させる力があって、突然不可解な次元がそこに実現するような錯覚に陥ります。こんな深い体験をさせてくれるのがイゴール ミトライの彫刻です。
今回、ポンペイという特別の場所に設置されるこれらの作品は見逃すことのできないものです。
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筆/ヴェネチア 公認ガイド 田口やよい
ヴェネチア観光/ http://www.veniceguidetour.com
アルドマヌツィオ(アルドゥス マヌツィウス)展示会 /ヴェネツィアのアルネッサンス
アルドマヌツィオ(アルドゥス マヌツィウス)展示会
期間:2016年3月19日から6月19日まで。
場所:アカデミア美術館 (1階)
時間:8:15-19:15(月曜: 8:15-14:00)
印刷された書籍といえば、 アルドマヌツィオの名前がまず浮かびます。
印刷はある意味では、今のデジタル革命に比較することができます。
以前は書籍は手本で、ほんの少しの恵まれた人だけの特権でしたが、印刷によって本が普及するようになると、文化の普及もスピードを増し空間的にも広がっていきました。ルネッサンス文化の流通は、印刷された本の普及を無視しては考えれられません。
アルドマヌツィオ はローマでラテン語を学び、フェッラーラでバティスタグアリーノについてギリシャ語を学びます。1489年ヴェニスに着いた時は、ピコ デッラ ミランドラなどとも親しむ人文主義者でした。マヌッイオは、ラテン語とギリシャ語の教育の普及の重大さを主張します。
ヴェニスは、ベッサリオン枢機卿から寄付されたギリシャの古典の宝庫でもあり、マヌツィオがヴェニスに来たのは偶然ではなかったわけですが、ヴェニスで、人文主義者、エルモラオ バルバロなどの教養の深い貴族たちに会い、教養深いベニスの貴族たちのための書籍の出版を考えるようになります。
印刷者アンドレア トレザーノに会い、印刷された書籍の発行を始めますが、裏には古典に対する深い情熱がありました。
1400年の終わりぐらいから、手本が印刷された書籍に変わり始めますが、それでも、マヌツィオが印刷業を始める前までは、まだイタリア全体でも例えばギリシャ語の文法の手本は10冊ほどしかありませんでした。まずギリシャ語を学ぶには文法が大事と考えたマヌツィオは文法の本を出版します。他にも短期の間にギリシャの詩、哲学、神話などの本、ローマ時代のラテン語の古典なども多く出版し、古代文化に対する情熱は印刷本という新しい回路によって隅々まで広がっていきます。
アルドマヌツィオが出版した書籍の特徴は、新しい文献学に基づいて、過去の書籍を校正し、オリジナルに近い書籍発行を探求したことと、同時に美的に魅力的な書籍の出版を目指したことです。また、今日で言えば、一種の文庫本と言ってもいい、持ち運びの簡単な小型書籍も発明します。これが経済的にも大きな成功をもたらしますが、以前にもまして書籍の流通のスピードを増すことにもなります。展示会では、ティツィアーノやパルマ イル ヴェッキオなどの手によるこの小型本を持った貴族たちの興味深い肖像画も見ることができます。
一方、古典文化は、また自然に対する中世の考えをまったく変え、自然が理想の楽園として新しい視線で憧憬されるようになります。絵画の中でも自然はそれ以前に描かれるように単なる背景であることをやめ、深い意味を持つようになります。
ジョルジョーネの「嵐」の中の自然が神秘で生命力に満ちた爆発的なエネルギーを含んでいるのはこの新しい視線で自然が観察され描かれているからです。普段はアカデミアの上階にあるジョルジョーネの「嵐」が今ここに展示され、他にもこのころの貴族たちが家に飾ることも好むようになったアルカディア(理想郷)的な自然を描いた絵がいくつか集められています。
アルド マヌツィオの素晴らしい書籍だけではなく、この展示会のために今回集められたこうした絵画などもこの展示会の魅力の一つです。
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筆/ヴェネチア 公認ガイド 田口やよい
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カーニバルのお菓子(ヴェネチア)
フリットラ(フリッテレ)
ヴェニスのカーニバルの有名なお菓子はなんといっても、フリッテレです。団子のような丸い形をしていますが、味は少しドーナツに似たフライしたお菓子です。
ヴェネツィアーノと呼ばれる伝統的なフリッテレは中に何も入ってないプレーンのものですが、他にもバリエーションとして、中にバニラクリームやチョコレートクリーム、あるいはリキュールの入ったザバヨーネクリームなどを入れたものもとても美味しいです。
ヴェネト地方を離れるともうフリッテレは見つかりません。トスカーナなどにも外観一見よく似たものがありますが、中は米が入っていて全く味は違います。
ヴェネチアのフリッテレは伝統が長く、すでに共和国の時代からフリットライと呼ばれるこのお菓子を作るギルドがありました。卵と小麦粉を合わせたものに、松の実と干しぶどうを入れて、団子を作り、ラードとバターの油で揚げたものに砂糖がまぶされ、これが細いカッレ(道)で売られていました。食事事情の貧しかった昔の人々にとっては、天上のお菓子だったに違いありません。
今日ではラードではなく普通の植物油で揚げられます。
フライを自己制限するようになった現代人、ヴェネツィア人たちは一月ぐらいからそわそわし始め、今年はいくつフリッテレを食べるかなどと話しはじめます。カーニバル一ヶ月ぐらい前から、町のパスティチェリア(ケーキ屋)にフリッテレが出てくると、朝食をこれですませる人も出てきて、ヴェネツィア人たちが情熱を持って食べ続けるお菓子です。小さい時から食べてきたものに執着するのはどこの国も同じです。
スーパーなどで買うものよりは、パスティチェリアのものの方がフライ油の質も良く、美味しいです。一番美味しいのは自然酵母菌を使って発酵させて作る、家庭で作ったものですが、今では家で作る人は少なくなりました。
他にももう少し小さめの団子風カスタニヨーラ、薄いガラーニがあります。ガラーニも是非試してみたい美味しいお菓子です。
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筆/ヴェネチア 公認ガイド 田口やよい
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アレッツォ
フィレンツェから、そんなに遠くない、このトスカーナ東方のアレッツォは、フィレンツェまで行ったら是非足を伸ばしてみたいところです。
アレッツォってどんな街?
現在のアレッツォは古い建物の残る旧中心部と、この周りに新しく発展した区域があります。イタリア人たち自身もそんなによくは知らないのですが、今のアレッツォはある意味でイタリア経済の隠れた中心地と言ってもいいところです。金細工の盛んだったこの地区には、昔から財力が集まり、今でも政界や財界の有数の隠れた権力者たちが、町を見下ろす豊かな丘に邸宅を持つ特別豊かなエレガントな地域でもあります。
この数年の世界の経済危機でアレッツォも変わったとはいえ、まだ古いイタリアがあちこちに残り、喧騒の都会と違って、歩くとほっとするような町並みを見つけられます。
ギリシャやローマの詩人たちがアレッツォのことをArretiumと呼んでいますが、この呼び名はエトルリア以前の紀元前8世紀ぐらいまで遡ります。エトルリア人たちより前にすでにこの辺りにはウンブリと言われる民族が住んでいました。紀元前7、6世紀には、エトルリア民族がこの辺りを支配し、紀元前5世紀には、この辺りは重要なエトルリアの12連盟の一部を形成します。ローマ時代にはローマの一都市として経済的にも大きな発展を遂げますが、6世紀ぐらいには蛮族、特にロンゴバルド民族に押されて、アレッツォ人達は町壁で区切られた丘の方に引きこもることになります。
ビザンチン支配時代も終わり、神聖ローマ帝国時代には司教達が力を増し、市民達との闘争が続きますが、1165年にはアレッツォは独立を獲得し自治都市になります。波乱の1200年代を経て、1384年には強力なフィレンツェ共和国に併合されます。その後フィレンツエ共和国が終わり、メディチ家支配下で、1538年今の町の城壁が完成します。その後1600年代1700年代は他のイタリアの多くの地方のように経済的な困難に対面します。
1799年フランスがトスカーナ地方を征服し、5年間のフランス支配下の後、大公レオポルド1世のトスカーナ大公国の時代一時期経済的に立ち直りますが、1859年トスカーナ大公国の終了の後、サルデニヤ王国に併合された後、イタリア統一とともにイタリア王国の一地方になります。
これだけは見たいポイント
-Pieve di Santa Maria 教会 ロマネスクの壮大な教会、アレッツォが自治都市だった頃のシンボルと言ってもいい。
-Piazza Grande (ピアッツア グランデ)
イタリアの広場の中でも最も美しい広場と言われる。ロッジャ バザーリは、バザーリの設計の建物の中でももっと調和のある美しい建物として有名。(バザーリはアレッツォ生まれ/生家がある)ロベルト ベニーニの映画、「ライフ イズ ビューティフル」のシーンとしても有名。
-Cattedrale di San Donato (サン ドナート 大聖堂)
ゴシックの壮大な教会。ピエロデッラフランチェスカの壁画「マグダレーナ」は必見。
-Basilica di San Francesco (バジリカ サンフランチェスコ)アレッツォへ行くための第一目的は、この教会の中央祭壇のピエロデッラフランチェスカの壁画「聖十字架伝説」を見るためだと言える。ピエロデッラフランチェスカは、ルネッサンスのヨーロッパでも最も重要な画家。このサンフランチェスコ教会の壁画は西洋美術史の中でも最も重要なもの (1452-1466)。
-Basilica di San Domenico (サンドメニコ 教会) チマ ブーエの十字架は必見。
-Museo Archeologico 特にエトルリア時代の観るべき価値のあるものがたくさん展示されている。
街から少し車で足をのばすとCasentinoのあたりを訪ねることができます。城が点在し、ダンテがフィレンツェ追放中滞在した有名なCastello di Poppiなどを見ることができます。またこのあたりは素晴らしい味の羊乳チーズの生産地でもあります。(アレッツォ市内のガストロノミア(メーカの名前ではなく、お店の種類です/特別美味しいものが買える店/イタリアでもっとも美味しいものを手に入れるには、ガストロノミアと呼ばれる食料品屋さんに行くと大抵その付近の美味しいものが手に入ります)でも買えます。
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筆/ヴェネチア 公認ガイド 田口やよい
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ヴェネチアカーニバル 2016年、1月23日から2月9日
今年のカーニバルはヴェネチア人たちのカーニバルだと市長ブルニアロ氏は宣言しました。今までは観光客が主人公のカーニバルだったのを今年からはもう一度昔のようにヴェネチア人たちの参加を呼びかけ、ヴェネチアのカッレ(細道)のあちこちで行われる町全体のカーニバルにしたいというのが意向のようです。
今年のテーマは「アルティとメスティエレ」(ギルドと職人仕事)。広場ではベネチアの伝統工芸に対するテーマが深めれます。
1月23日 18時 Rio di Cannaregio
ヴェネチア水の上のお祭り (第一部)
カンーニバルのスタートを切って、船に乗った仮装行列がRio di Cannaregioから出発して大運河を行きます。
1月24日
11時
Rio di Cannaregio
ヴェネチア水の上のお祭り (第ニ部)
1月30日
マリエの行列
1月30日 San Marco
15時30分
マリエの行列を待ちながら
16時
マリエのお祭 San Marco
1月31日
10時半
12時
天使の飛行 San Marco
2月7日
10時半
鷲を待って(舞台) San Marco
12時
鷲の飛行 San Marco
15時 San Marco
カーニバル仮装コンクール
2月9日
16時30
カーニバルのマリア選出、表彰 San Marco
17時
ライオンの飛行 San Marco
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筆/ヴェネチア 公認ガイド 田口やよい
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海外旅行をするときの礼儀/いろいろな国の礼儀
最近は多くの人が海外旅行をするようになりました。
訪ねる国にはそれぞれいろいろな礼儀があります。 誰もはっきりとは教えてくれない礼儀もあります。
どうせ言葉は通じないからいいだろうと思いがちですが、そういうわけではないのです。
この礼儀というのは最低限の自分の国の礼儀を守れば、普通はなんとかなるのですが、それでもそれぞれの国独特のどこにも書かれていないほとんど無意識的な礼儀というものが存在するのです。これを知っていないと誤解されることもあります。私も長い間外国に住んで、何年もたったあと初めて気づいたことが多くあります。
例えば挨拶です。ヨーロッパの場合はどこの国に行っても「おはようございます」「こんにちわ」ぐらいは日本語でもいいから言いたいものです。これは誰にでもいいます。その国の言葉だともっといいのは当然です。ホテルでも、駅で切符を買うときでも、店でものを見せてもらうときでも、レストランに入ったときでも、何かものを聴くときでも、スーパーでお金を払う時でも、常にこの挨拶がまず大事です。日本では、働く人や店員などは下に見下ろしがちですので、外国に行っても、自分は客なんだから挨拶なんかしなくてもいいと思いがちですが、平等意識の進んだヨーロッパでは、挨拶しない人は単に礼儀を知らない教育のない劣等な人と見られます。特にフランスなどではこの意識が格別です。この礼儀は大切なこととされています。日本人は時々(私も例外ではありませんが)自分のことなど誰も気にしていないだろうという自身に対する過小評価のためにあまりよく知らない人には挨拶しないこともあります。この過小評価というのはヨーロッパ人には理解できないことで、単に礼儀知らずととられるのです。日本の習慣ですと全く知らない人やよく知らない人に挨拶をするのは変だと思いがちですが、ヨーロッパでは、この全く知らない人いう感覚が日本とは違います。すでに話しかけようとしている人は、知ってる人になります。人の少ない山の道なんかの場合はすれ違うだけの人にも挨拶したりします。とにかくあらゆる場所で、何か話し始める前には『Buon giorno』とか言ってから話し始めるのが間違いないと思っていいのです。
他にはっきりとは決められていない無意識的な体言語の礼儀の一つは笑顔です。これはアメリカなどでとても大切にされます。笑顔は挨拶のうちの一つ、挨拶できないときは相手の目を見てにっこり笑うだけでもいいのです。
イタリア人はあまり笑顔の挨拶はしませんが、それでも最低限の笑顔の挨拶は高級な場所では必要不可欠な礼儀とされています。
ロシアの人々はイタリアトスカーナ地方のMontecatini あたりの温泉が好きで、この辺にロシアの富豪が最近よく旅行に来るのですが、『ちょっとした笑顔はお客様同士の心を和やかにします』とロシア語で書いて掲示したホテルもあります。もちろん豪華なホテルで、フランスやイギリスなどから高級客がたくさん来て、ロシアの人々のあまりにもそっけない、ときには傲慢な態度が、ホテルの雰囲気を壊して、以前からの高級客が遠ざかるのではないかとの危惧からでした。
アメリカで満面の笑顔は必要不可欠な挨拶なのは、例えばグッゲンハイム美術館などに行くと目の前でこの証明体験ができます。グッゲンハイムはヴェネチアにあってもアメリカに属していて、中で働いてる人はほとんどがアメリカ人です。こちらが英語で話してる間は晴れやかな笑顔が続きます。この英語から突然こちらがイタリア語に変えて話しはじめると、一秒の間に話してる人の満面の笑顔が消えて、微笑があるかないかの表情になってイタリア語で答えがかえってきます。わざとしているのではなく、本当に体言語を切り替えたという0ff-onの、面白い豹変です。
多くのアメリカ人はすれ違って肩が触っても謝ります。これは広いアメリカならではできることで、特にヴェネチアのような狭いところでは切りのないことなので、こういうことはありません。ただ、最近は中国の人々が体当たりに当たってきてもごめんなさいとも言わないのには、ヨーロッパではただただ驚きで、なぜかと誰も首を傾げています。こちらが見えないように一歩も道を譲ってくれないのもなぜかとみんなが話しています。ごく最近、サンマルコ広場で中国の中年の女性が、広げた傘でどけといって押してくるという体験もしました。驚きが先に立ってなんの反応もできませんでしたが、理解に苦しむ中国の人々の態度です。
ヴェネチアでは、相手との距離をよく見て、人を避けて歩くのはどちらかというと日常不可欠の生存問題で、あちこち道いっぱいになってぼんやり歩く観光客は、通勤していくベネチア人や、早く家に帰りたいと思ってる買い物帰りの(ヴェネチアでは歩いてする買い物も大変なことです)ヴェネチア人にとってはまさに悪夢で、ときには切れてしまって大声で後ろから怒鳴るベネチア人もいます。ヴェネチアでは歩く人は自分自身が車と同じなのです。はっきりした交通規則はありませんが、バカンスとはいっても、周りの人々の動きを見ながら歩きたいものです。
特に狭いヴェネチアの町では、雨の日傘をさしてすれ違うときは、それぞれの傘を上にあげたり横にしたりして傘が邪魔にならないようにするのも、どこにも書かれてはいませんがヴェネチアでの礼儀のひとつです。
一般的には日本人観光客は世界で一番優しくて、礼儀正しいと評価されています。多分はにかみをのり越えてがんばって微笑んだり、相手の目を見て、はっきり挨拶したりするともっと満点の民族になるでしょう。
これは些細なことですが、しゃがみこむのはこちらでは見たこともないので、不思議なポーズどうしたのだろうと言われます。(床に座ってしまうのは抵抗がないようです。)
あと、靴を脱いで家に入る日本とはちがって、靴を脱がないヨーロッパの人々にとっては、靴を脱ぐという行為は非常にプライベートな行為で、人前でする行為ではないと考えています。
鼻は人前で大きな音を出してかんでもいいのですが、スープや、コーヒー、ましてやパスタやスパゲティーなどを啜ったりするのはひどく行儀の悪い下品な行為と考えられています。
もっとも世界全体がだんだんと無作法になっていく今日、いつまで続くかわからない礼儀作法ですが…
『ところ変われば人変わる』…面白いですね。
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筆/ヴェネチア 公認ガイド 田口やよい
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ダヴェンチの「モナ リザ」の修復をしたアントニーさんにインタビュー
ー 『モナリザ』の修復をなさったんですね?
ー そうですね。修復というか、一年に一回、この有名な絵画は全体チェックがされます。重さを計り、湿度の具合などを見ます。カーブもチェックされます。
この年間チェックは多くの人々からなるエキップが受け持ちます。グループは研究者、化学者、修復家などで、構成されています。このエキップのメンバーは毎年変わります。この著名な絵の定期チェックは一種の栄誉なのです。褒美みたいなものですね。ですから、同じ人々ではなく、長年の貢献の一つとして、この役が回ってきます。
ートニーさんはいつこの定期チェックをなさったのですか?
2010年です。チェックは過去のデーターと詳しく比較されます。年が経つごとに絵画も年をとります。表面の亀裂などは年ごとに増えていきます。こうしたものが、自然の老化によるものか、それとも何か特別の動きがあるかどうかなどがチェックされます。私の場合には、特に額によって、色の落ちてしまった隅の一部を修復しました。外からは見えない部分です。
「モナリザ」の本当の修復は少なくともここ2、30年はされないはずです。ルーブルは大きくて、他に修復がすぐ必要な作品がたくさんあります。エキップの力はかぎられていますから….
ーフランスでは、どのようにして、絵画の修復家になりますか?
フランスには国に属している修復家専門学校があります。4年間かかって、この学校を終えると、国の修復家になります。フランスの国有のあらゆる美術館、パラスなどの作品は、もちろん建物自体も、この国の修復家たちが行います。国有のものでも、それぞれブライベートなエキップなどに修復を頼んだりする他の国のシステムとは違います。
フランスには、国有美術館センターがあり、この中に、作品保存研究所があります。これは、化学者や写真家、美術史家、分析家などからなります。ここでアナライズされたあと、どの作品をいつ修復するかが決められます。
ールーブルの他のどんな作品の修復に当たられましたか?
特にルーブルの所有してる古代ギリシャのほとんど半分の彫刻の修復をしました。中でも「サモトラケのニケ」などです。有名な作品ですね。特に、古代ギリシャの部門では、1979年から、毎年一つずつの彫刻を手がけてきました。
ー絵画の修復はどんな風になされますか?
まず、蒸留水を基にした液で埃が取られます。絵画の問題は特に長い間に色素が酸化して色を変えてしまうことです。また、今のように研究とテクニックの進んでいなかった過去に行われた修復の問題が大きいのも事実です。過去の修復は全部取り除くか、一部取り除くか、決定されたあと、オリジナルな色にたどり着いた時点で、これをフィックスする液の層が塗られれます。現代の修復はこの上になされます。こういう風にすれは、将来もっとテクニックや、研究が進んだ場合、私たちの修復を取り去ることができます。今の修復は必ず、将来取り除くことができる可能性を残して行われます。
ーこのお仕事お好きですか?
難しかったのは最初の頃です。まだ、そんなに慣れていなかった頃、重要な作品に直面するのは、正直言って、とても怖かったです。慣れてからは楽しいばかりです。毎日、歴史が伝えてくれた美に直接関わりあって仕事ができるのは、大きな特権だと思っています。朝起きて、仕事に行くのが楽しいです。よく何故もっと長くバカンスに行かないかと聞かれたりしますが、僕にとっては毎日がバカンスみたいなものです。
また一緒に仕事をする人たちとも、とても息が合っています。ずっと、僕の環境は昔からこうでした。
ー今、修復なさっているのは?
今は、ヴェルサイユ宮殿の天井の壁画の修復をしています。エキップを指揮しています。
ー天井の修復は大変ですよね。ミケランジェロが、体を反対に曲げたまま、壁画を書くことの大変さを嘆いていますが、今でも同じ方法ですか?
そうですね、今でも同じです。でも今は首を支える首輪があって、これをつけますが。
ーでも、指揮をしていらっしゃるチーフでしたら、直接は体を曲げて仕事をなさらなくてもいいわけでしょう?
いいえ、チーフも必ず仕事をします。僕には僕の部門があって、そこの修復は全部自分でします。チーフだからこそ、細かいことまでわかっていないといけません。デリケートな出来事は経験しないとわかりません。それぞれの場所でそれぞれの状況があります。突然対処しないといけないことも起こったりします。こうしたことを把握するには、実際やっていないとできないことです。
ーどれくらいの期間がかかりますか?
ヴェルサイユは今だいたい2年ぐらいかかります。
ーその間、ずっと立ち続けで?
でも、実際天井の壁画の修復は1週間に2日だけです。他の日は他のものの修復にあたります。僕の下で働く人々にもこれは守らせます。
ーモナリザに戻りましょうか。一度、1900年代の初めにこの絵は盗まれましたね。今は守りは完全ですか?
そうですね、昔は今のように重要視されていませんでしたし。今は世界で一番有名な絵ですからね、守りは完全です。あらゆるセンサーで守られていますし、爆弾が破裂しても大丈夫なガードがされています。
ーとても楽しいお話ありがとうございました。
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筆/ヴェネチア 公認ガイド 田口やよい
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