パンテオン、天使の建てた建物、その2

パンテオンのことを「天使が建てた建物」と言ったのはミケランジェロですが、このパンテオンのことをハドリアヌス帝はこう書いています。images

「私の意志では、この神々の神殿によって地球と惑星の球を再現することだ。天井の大きな空洞は、光と闇を交代に見せながら、天空を顕にしなければならない。この神殿はまるで象眼儀であるかのように、交互に、神秘的に閉じられた空間であり、開いた空間として考えられなければならない。時*はギリシャの職人たちによって懸命に済まされた球の上を回っていくだろう。光の輪は金の盾のように停泊するだろう。雨は済んだ池を床に作り、神々の方に向けられる祈りは空間を煙のように昇っていくだろう。」

実際パンテオンは内部高さが43、44m、幅が43.44mで、ちょうど内部にこの直径の球が入るように作られています。ハドリアヌス帝が語るように天井の真ん中には直径8.9メートルの空に向けて開かれた大きな空洞があります。オクルスと呼ばれるこの穴から、空が見え、昼の光と夜の闇が通っていくのが見えます。この穴から陽光が入り、建物の内部を回りながら照らし出していきます。雨が降ると雨水は直接下に落ちてきて床に貯まるようになっています。祈りのために祭壇で火が焚かれ、その煙がこの穴を通して空に昇っていけるようになっています。実際祈りもまた、ハドリアヌス帝がいうように、煙と共にこの穴を通して直接天に昇っていけるような感じです。

このハドリアヌス帝の望んだ祈りの空間を実現するために、そのころ知られている限りの建築技術が応用されました。史上を通じて技術的に最高の建物の一つと言っていいものです。

建築家は多分アポロドロ ディ ダマスコだと言われています。

パンテオンの建物はプロナオスと、アヴァンコルポ(ファサーッドとロトンダをつなぐ場所)、ロトンダ(円ドームの空間)でできています。 プロナオスには16本の円柱がありますが、このうちの8本はエジプトから持ってこられた11、4メートルの壮大な花崗岩の柱です。このプロナオスの天井はかって箱細工になったブロンズで覆われていましたが、このブロンズは1626年、サン・ピエトロ教会の中央祭壇に使うために取り外されてしまいました。

かっては回廊が続く細長い広場があって、奥にこのプロナオスが開けていて、パンテオンにたどり着くまでの印象は神聖で壮大な感じだったはずです。

このプロナオスを通った後、突然壮大な空間が開けるロトンダに入った人々は、今では想像できないほど、大きな驚きにおそわれたはずです。

技術的にも特に素晴らしいのは、真ん中に穴の空いた円天井(ドーム)です。一つのブロックで作られた円天井としては現代でも例のないものです。ブルネレスキがフィレンツェのサンタマリア デル フィオーレのドームを作るまでは西洋では最も大きな円天井でした。ブルネレスキ自身、このパンテオンの円ドームを研究して、サンタマリアフィオーレの円天井を設計します。

ドームの内部はレンガで造られた骨組みがあることが、修復の時発見されました。この骨組みから重さが周りの壁の方に逃げていくようになっています。この骨組みを基にして、下部から上部に行くほど軽い石をカルチェストゥルッツォ(セメント)に混ぜていき、厚さも上部に行くほど薄くなっていきます。その中心部は実際空洞になって、重さがゼロになります。壁自体も重さを軽くするために、天井の骨組みからの重さを支えない部分は、厚い壁の重さを軽くするために、エクセドラ(凹空間)が作られます。

ローマ人はカルチェストゥルッツォと言われるセメントを使っていました。このローマ人たちの使ったセメントは現代のものに比べると硬さは何倍も弱かったのですが、持続性が強く、コロッセオなどの建物が2000年もそのまま持ち続けているのはこのためです。特にポッツォラーノと言われる火山石に火山灰を一部合わせて作ったのローマのセメントはとても強力に凝固して、特に長い時の勝負に勝つようにできています。コロッセオなどの多くのローマ時代の建物が、多くそのまま今でも持っているのはこの火山灰を使ったカルチェストゥルッツォが使われているからです。このカルチェストゥルッツォは二酸化炭素によってかたまっていく性質があり、空気に触れて硬くなります。このカルチェストゥルッツォの発明がローマの多くの壮大な建築を可能にしました。

コロッセオと並んで、最も貴重なローマ建築の一つがこのパンテオンです。

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注)*古代には過ぎていく時も人格神が司っていると考えれていました、

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レオナルドダビンチの自画像(素描)がローマに

 

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レオナルドダビンチ 「自画像」/デッサン/トリノ王図書館

 

 

 

 

最も有名なデッサン、「俗界のシンドネ(聖骸布)」とさえ言われる有名な素描、普段はトリノの王図書館に保存されているこのレオナルドダビンチの自画像のデッサンを今日からローマで見ることができます。

普段は、この図書館の下の完全密封された特別の 地下室に保存されているデッサンです。地震にも火事にも耐えるようにできている部屋です。この中に入るには特別の秘密のシステムがあり、その鍵も二人それぞれ別の人が保存していていて、一人では決して開けることができないようになっています。この外界と遮断された地下室の完全防備されたケースの中に普段保存されている世界遺産です。

レオナルドダビンチの作品は死後、その弟子、フランチェスコ メルツィの手に渡りますが、フランチェスコの死後、その息子たちがあらゆる作品を売り払ってしまいます。それ以降、この自画像もどこに行ったか全く分からなくなるのですが、1800年の初めに、ミラノで幾つかコピーがでまわり、この街にこのデッサンがあったのですが、その後また行方が分からなくなります。この後、骨董屋、ジョヴァンニ ヴォルパートが多分イギリスかどこかで手に入れたこのデッサンは、1839年に、サヴォイア家のカルロ アルベルトによって、この骨董商から購入されます。それ以降この著名なデッサンは普段はずっとトリノに保存されています。

 

レオナルドダビンチの肖像画に関しては、レオナルドの弟子、フランチェスコ メルツィの手によるデッサンが存在しています。40歳ぐらいのレオナルドです。このレオナルドに比べるとこの年取った「自画像」は、ずいぶん違っています。鼻の下の長さが、「自画像」の方はあまりにも短いとはよく言われることですが(歯が抜けたせいだとも言われますが)、特に鼻の翼の違いで、全く別の人物であることは、断言できるほどです。よく似ているのは髪の毛と髭ですが、年取ったレオナルドが、40歳のころと同じような髪と髭をしているというのも少し偶然すぎる話です。眉毛も歳をとってから多くなるはずもないのに、歳をとってる方の方が眉毛の量が多くなっています。研究家によっては、自画像ではなく、哲学者の肖像画だという人もいます。

実際レオナルドの本当の自画像かどうかは別として、まるで生きているようなこの素晴らしいレオナルドの描写、めったに見ることのできないこのデッサン、ぜひ一見する価値があります。

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フランチェスコ メルツィ 「レオナルドダビンチ」1510年 /デッサン

場所: Musei Capitolini, Palazzo Caffarelli (ローマ)

時間: 毎日 9.30-19.30

期間:6月23日から8月3日まで
入場料:   5 ユーロ

 

 

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パンテオン、 天使の建てた建物/ローマ (その1)

 

パンテオン

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「これを建てたのは人間ではなく天使だ」と言ったのはミケランジェロでした。

今では、観光客で騒がしいパンテオンですが、中に入ったとたんあまりの広大さ、そして自身のあまりの矮小さを感じないではいられません。確かに天井の建物、完全な空間の中にいることを肌で体験できます。

パンテオンは史上もっとも大きな憧憬を集め、もっとも模写された建物です。

奇跡のような調和に満ちた空間が2000年も昔に実現され、これが私たちにそのまま伝えられ、ほとんど昔のままの建物の中にいるのだと思うと感動的です。内部はほとんど2000年前と同じ状況で保存されています。同じ私たちが歩く大理石の床の上を数々のローマの皇帝がが歩いたのです。同じ天井のドームを見上げたのです。

今の建物は紀元後118年にハドリアヌス帝によって建てられますが、もともとこの場所には、アウグスティヌス帝のために、紀元前25年に、その友人でもあった、コンソリ、アグリッパが建てた建物があり、中には神々以外にも、ユリウス カエサルの像が祀られていました。これが火事で焼け、そのあとドミツィアヌス帝が大きな修復をおこないますが、このあとも雷が落ちて焼け、最後ハドリアヌスが新築したのがこの今の「パンテオン」、この「神々の神殿」といわれる建物です。ハドリアヌス帝はこのアグリッパの建てた建物を記念して、プロナオスの正面に「ルチョの息子、三回コンソル(執政官)の役をしたマルコ アグリッパがこれを建設した」と記録させ、この言葉を今でも読むことができます。

実を言えば、この建物が本当にパンテオンという名前で、本当に神殿だけだったかは今でも研究家の間でディスカッションが続いています。

このパンテオンが建っている場所はもともとローマにとって非常に特別な場所でした。ローマの伝説では、ローマを発足させたと言われるローマの祖先、ロムルスが死んだとき(このロムルスの名前からその後ローマはローマと呼ばれるようになります)、鷲が降りてきて、その体をさらっていき、天上の神々の間に連れ去ったと伝えられているのがこの場所でした。

ローマ人たちの神々に対する信仰は深いものでした。ローマ人達にとって死後の世界は存在しなかったのですが(ほんの一部の選ばれた人だけがカンピリージ、一種の地上天国に行くことができましたが、死後は存在しないと考えられていました)、神々は日常のあらゆることを支配していると考えられていました。川や海、山や森などあらゆる場所にいろいろな神々が住んでいました。この神々の意向を知り、怒りをかわないようにし、その助けで利益を得るのは、生きて行く上で最も重要なことでした。自然のいろいろな現象の中に神々の意思が現れると信じられていました。鳥や蛇の突然の出現などは、そのまま予言の表れであると考えられていました。何かをする前には神々の意思を知るために、犠牲にした動物の内臓を解釈したりしました。定期的に生贄の犠牲を行って、贈物を捧げることは、神々の連帯を得るためには必要不可欠なことだと考えられていました。なかでも、一番重要な神々は天上の惑星の神々でした。動かない他の星はローマ人達は重要でないと考えていましたが、国や人々の運命を決めるような重要な出来事はこの惑星の神々の介入で起こると信じていました。実際パンテオンの中にはユピテルマルス、メルキュリー、ウェヌスなど、七神が祀られていた七つのニッチ(壁がん)があります。

パンテオンは特にギリシャやエジプトなどの古代文化に通じていたハドリアヌス帝の秘教的な天文知識が基盤になっています。パンテオンは高さ43、44メートル幅43、44メートルで、中に完全な球が入るように作られているのも偶然ではありません。もともと古代から、球は完全さの象徴でした。パンテオンの天井にはオクルスといわれる9メートルにもなる大きな穴があります。このオクルスから、陽光が入って、パンテオンの中を照らし出します。ローマが生まれたと言われる日、 4月21日の12時には斜めに入った陽光は、きっちり正確に、ハイライトのようにプロナオスから入る入口を照らし出します。この事実からも建物自体がローマの起源に深く繋がっている深い意味があるようです。

このハイライトの間をハドリアヌス帝が入っていき、謁見が行われ、また皇帝自身が下す裁判も行われていたことは知られています。

神々が祀られていたのは事実ですが、この建物は神々を祀る神殿だけだったのでしょうか?

かって、神殿は神々の住居でした。神殿に入ることができたのは、巫女たちだけでした。この聖なる場所を犯して中に入ることは死によって罰されました。内部は普通狭く、生贄の犠牲を行う祭壇と神々の像を祀る空間だけがあったのですが、パンテオンは集会場といてもいいような大きな空間です。こうした意味では神殿という観念が大きく変わってきているのがこのパンテオンです。

この建物が奇跡的に、ほとんどそのままの形で今日に伝えられたのは、608年にビザンチンのフォカス皇帝が、ボニファティウス法王4世に、この建物を贈呈して、609年に法王によって、この建物自体がキリスト教の教会になったためです。

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100匹の狼がヴェネチアに/Liu Ruo Wang/ビエンナーレ

100匹の狼がヴェネチアに/Liu Ruo Wang/ビエンナーレ

「ピエタ」に向かう狼たち/Liu Ruo Wang/サンサルバトーレ教会/ヴェネチア

「ピエタ」に向かう狼たち/Liu Ruo Wang/サンサルバトーレ教会/ヴェネチア

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Liu Ruo Wang/狼/鉄

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リアルトの近くのサンサルバトーレ教会の中庭に、100匹のの狼とミケランジェロの「ピエタ」のコピーのインスタレーションがあります。

中国の北京で活躍しているアーチストLiu Ruo Wangの作品です。

アーチストの意向では、中国のキリスト教迫害に抗議して作ったものらしいのですが、狼の迫力とエネルギーが芸術的で、狼も迫害を受けてる今日、この狼の与える無垢な印象の方が大きくて*、アーチストの意向とはむしろ反対の意図が伝わってきますが、壮大なインスタレーションです。これも修道院の中庭という場所が何よりもインスタレーションの場所として当たっています。

Liu Ruo Wangは、1977年に生まれ、北京のファインアートセントラルアカデミーを卒業したアーチストです。作品ごとに独特なものを生み出していますが、特に作品の含むエネルギーがその特徴と批評されています。

今回の作品は2008年にアーチスト自身が財政困難に陥りながら実現したものです。この100匹近い狼を運ぶのには2台のトラックと多くの船が使用されました。

今回のビエンナーレへのこのアーチスト参加は、中国とサンマリーノ共和国の文化交流から生まれたもので、この作品はビエンナーレのサンマリーノの展示場であるこのサンサルバトーレ教会の中庭に、インスタレーションされています。

ヴェネチアを訪ねる人には必見のインスタレーションです。

 

*動物は生きるためだけ、必要なだけ殺します。それに比べて、同類でさえ大量虐殺を繰り返す人間は動物の無垢さには比べ物になりません。動物の権利が認められていない中国のアーチストが使うメタファーが、イタリアのような動物の権利承認が進んでいる国に移動すると意味が転倒してしまうのも興味深いことです。

(特にメキシコのユング派精神分析者クラリッサ ピンコラ エステスの「狼と駆ける女たち」の大の愛読者の私は狼が大好きで、このインスタレーションの狼たちに感動しました。「狼と駆ける女たち」はとてもいい本です。あらゆる女性が読むべき本です(男性にとっても役立つ本です)。精神分析といっても難しい本ではなく、スラスラ読める本です。何度でも読むことができ、読むたびに新しい意味が理解できるのがこの本です。道を見失った時、とても困った時、「あっち」と方向を示してくれる不思議な本です。)

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ヴェネチアの動物たち/カモメ

IMG_4193ヴェネチアの動物たち/カモメ

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夕方のヴェネチアです。風が肌に気持ちよく吹いています。

水面が風で細かく割れています。アルセナーレの近くの高い橋の上です。

この男性は手にパンくずをいっぱい持って、ひとかけらづつ投げています。それを空中でカモメたちが上手に受け取ります。

興奮した鳥たちが大きな声で鳴いています。

後ろに見えるのはサンジョルジョマジョーレ島です。サルーテ教会も見えています。

向こうの空が夕焼けに染まり始めて、マジックな瞬間だと思ったのは私だけではないようで、他のツーリストたちも立ち止まって、写真を撮っていました。

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「コンヴェルスム」ビィエンナーレ ヴェネチア/Facebookの現代の聖人たち

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コンヴェルスム/リサイクルグループ/中央祭壇の「F」は、Facebookを表している。ヴェネチア サントアントニオ教会/ビエンナーレ

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「コンヴェルスム」ビィエンナーレ ヴェネチア/サントアントニオ教会/カステロ地区

リサイクルグループ

 

 

 

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コンヴェルスム/ビエンナーレ/サントアントニオ教会/ヴェネチア/網で作られた現代の聖人たち

 

今年のビィエンナーレ、いろいろ非難はされていますが、今年は幾つかとても素晴らしい作品が展示されています。

そのうちの一つがこのカステロ地区にあるサントアントニオ教会の内部にあるいくつかの作品です。プロジェクト「コンヴェルスム」とタイトルされた、ゴムや、網や、プラスチック、ポリエステル、流れ着いた木などの普通はゴミと言ってもいいような物質だけを使った作品です。

中央祭壇には、大きな『F』の形をしたFacebookを表したクロスがあります。7人のうちの一人がスマートホーンを持っていると言われる現在、アーチスト達はかって天上にあった「真理」は、今はクラウドサービスの中にあるといいます。そして、古代の格好をした聖人たちはコンピューターを持って、アンテナを掲げてインターネットにつなげようとしています。網で作られた聖人たちです。その足元にはリサイクルの木を精密に機械で裁断して「ノアの箱舟」の一部とアーチストたちが言う木が置かれています。聖アントニオ教会は聖サバの遺体を保管していますが、その祭壇の前の空間には機械で精密に切られた聖サバのプラスチックの遺体が棺の中に保存されていたりします。

まるでもう消えてしまった遠い昔の文化の残した、ミステリアスな遺跡のように展示されている現代文化です。

これを作ったのはロシアの「リサイクルグループ」と言われるロンドンで活躍するアーチストグループです。

普通は拒否されるような粗末な材料を使います。網や、溶解ポリエステルなどを直接、物の上に置いて形をとりますが、この形から最終的な作品を製作するには、自動切断機を使って切ったり、大きな機械水槽の中で煮沸したり、現代のテクノロジーが使われます。この工程は「リサイクル」という観念からは大きく離れているようですが、この過程がビデオで見ることができ興味深いものです。

何よりも教会の中というロケーションが大成功のようです。

入場もフリーですし、ベニスに来る人は見逃すことのできないビィエンナーレの一環の作品です。

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ドナテッロの三つのキリスト十字架像/「現れたドナテッロ」パードヴァ展示会

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キリスト/ドナテッロ/サンタマリア ディ セルビ 、パードヴァ 修復中のキリスト

 

ドナテッロの三つの十字架/パードヴァ展示会

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キリスト/ドナテッロ/サンタマリア ディ セルビ、  パードヴァ 修復後のキリスト

 

期間/2015年3月28日から7月26日まで

場所/Museo Diocesano  (Duomo広場)パードヴァ

時間/10時から19時まで(月曜/閉館)

パードヴァのSanta Maria dei Servi 教会の中に保存されていた十字架のキリストが、ヴァザーリの記録の中には前から書かれていたのですが、最近書類発見によってドナテロの作品だということが裏付けられました。ただ後期の厚い上塗りがあって修復前まではこれをドナテッロの作品と受けいれる研究家は少なかったのですが、今度修復が終わり、この上塗りが取られて、はっきりとドナテッロの作品だいうことができるようになりました。

記録によると1512年にこの像の顔から血が流れ出るという奇跡が起こり、そのあと大きな反響を呼び起こしたものでした。この後もこの像は深い信仰の対象になり、ドナテッロの名前は忘れ去らてしまいましたが、今日まで保存状態のいい状況で、保たれてきたのはこの信仰のためです。ドキュメント発見の後、今回の修復が行われました。修復の前までは、1800年代に行われた上塗りのためブロンズ像のように見えたこの彫刻ですが、今回、修復によって上塗りが取られ、ドナテッロならでは力強い彫り方、もともとの木彫の塗りの色彩などが現れました。

今回このキリスト像とともに他の二つのドナテッロの有名なキリスト像が陳列されています。

一つは普段はパードヴァの聖アントニオ教会の中央祭壇にある同じドナテッロ作の有名なブロンズのキリスト像です。普段は近づくことのできない中央祭壇の高い場所におかれている十字架で、こんなに近くで、このキリストを見ることができることはめったにありませんし、またこんなふうな照明の中ではっきり見ることもできるのも今だけです。見逃すことのできない機会です。

もう一つは、フィレンツェのサンタクロチェ教会の中にある(1406−08)ドナテッロのキリストの木彫です。

このサンタクロチェ教会のキリスト像は、ブルネレスキがこれを見たとき、そのあまりのレアリズムに驚いて、「なんだ、百姓を十字架にのせたのか」と言ったと言われる有名な像です。ブルネレスキとドナテッロは親友でした。この批評に気を悪くしたドナテッロはが、そんな風に非難をするのだったら、自分が実際にキリストを彫ってみたらいいじゃないかと答えたと、ヴァザーリは書いています。このドナテッロに答えてブルネレスキが彫った像が、フィレンツェのサンタマリアノヴェッラ教会のキリスト像だと言われています。ブルネレスキは、それから約9年も経ってから、サンタマリアノヴェッラのキリスト像を彫りますので、ほんとうのところははっきりしませんが、ある夜、ブルネレスキと一緒に卵を食べようと、卵を持って訪れたドナレッロが、ブルネレスキが覆っていた布を 突然取り払って見せたブルネレスキのキリスト像のできにあまりに驚いて、持っていた卵を全部床に落としてしまったと語り継がれています。二人の競争の元になったと言われるこのドナテッロのキリスト像、そばで、照明の中で見ると感動的です。この像はキリスト埋葬儀式などの(かってはこのような宗教儀式も行われました)時に使われるために、腕が肩のところから下に降りるような仕組みになっているのも興味深いものです。

どれもドナテッロの作品の持つ深い人間味が伝わってくる作品です。このドナテッロの展示会が行われているディオチェザーノ美術館は、他にジャンバティスタ ティエポロの名作「聖フランチェスコ ダ パオラ」などもありますし、同じ広場にはジュスト デ メナブオイの壁画で有名なバティステロ(洗礼堂)もあります。

tel. 049 8761924 / 049 652855
http://www.museodiocesanopadova.it

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ドナテッロ

1386年にフィレンツェに生まれる。1404年から1407年にかけて、ギベルティの元に弟子入りする。1408年にはドゥオモの裁判所の「ダビデ」を完成する。ギベルティから独立した後の最初の公のコミッションだった.1415年には同じドゥオモのファサードの「聖ヨハネ、エバンジェリスト」を完成する。同じ頃オルサミケレの「聖マルコ」を作り上げる。サンタマリア デル フィオーレ教会の仕事でブルネレスキと友達になり、一緒に最初のローマへ旅をする。このころ名声が上がり、コラッツァイのギルドのために「聖ジョルジョ」を作り、オペラ ディ ドゥオモのための「預言者たち」を請け負う(1436年に完成)。1425年からミケロッツォといっしょに仕事場を持ち、この共同経営の仕事は1433年まで続く。ミケロッツォとともに再びローマに行き(1432/33)、この旅でアルベルティと出合う。プラトから急かされて、トスカーナに帰るが、このころからの作品はすでに全く新しいスタイルのドナテッロだと言っていい。プラト「説教壇」(プラト)、サンタクロチェの「受胎告知」(フィレンツェ)、サンロレンツォ教会のサグレスティアの漆喰とブロンズ(フィレンツェ)、コジモ ディ メディチのための「ダビデ」(1440?)などの名作が続く。1447年から53年までパードヴァに滞在したドナテッロは、聖アントニオ教会の中央祭壇の偉大なモニュメントと、広場の「ガッタメラータ騎馬像」などを完成する。

フィレンツェに帰ったドナテッロは、時代が変わったことを認識しないわけにはいかない。シエナなどとも仕事を続けるが、1466年にその生涯を終える。

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ドナテッロ/キリスト サンタクロチェ教会、フィレンツェ 1406−1408

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ドナテッロ/キリスト サンタクロチェ教会、フィレンツェ 1406−1408 肩と脇の下に注目、手が下に降りるようになっている。

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キリスト/ドナテッロ/サンタマリア ディ セルビ 、パードヴァ 修復中のキリストの手、指の足りない部分は石膏で補修された。

 

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キリスト/ドナテッロ/サンタマリア ディ セルビ、  パードヴァ 修復後のキリスト

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キリスト/ドナテッロ/サントアントニオ教会 パードヴァ 1443−1449

 

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ビィエンナーレとヴェルニサージュ/船バス駅から落ちた宝石だらけの招待客/ヴェネチア

 

logo_biennale5月6日、ビィエンナーレがオープンしました。最初の3日間はヴェルニサージュ、ヴェルニチェと呼ばれて、招待客だけが中に入れる開催日です。

この数日間、ヴェネチアはビィエンナーレよりは、この招待客を観察する方が面白いくらい変わった人々が集まってきます。バポレットもこの人々でいっぱいになり、時には仕事に行く人々でさえ乗れないほどで、大変な混み方です。特別目立つ不思議な格好をしている人もいます(半分白色で半分黒色の髪を結った年配の女性とか、長い帽子をかぶって、シックな服を着て、ズボンを一方だけブーツに入れ一方は靴の上に出してる中年の髪の長い男性とか)それぞれ知り合いで誰かを見つけると、嬉しそうに近づいて、大げさに喜んでキスをしあい、どの言語を話す時も特別なシックな発音で話し始めたり、誰もお金があるのがはっきりする服装をしています。ブランド製品や宝石でいっぱいになりますが、こういうものをあまり見せることを好まないラディカルシックと言われる裕福な人々もいます。スキヤボーニ追悼は30メートルを超える大きなヨットが、所狭しと何日も前から碇泊し(こういう船がヴェネチア市に払う一晩の碇泊代は4000ユーロを超えます)どんなに大衆社会になったとはいえ、階級ははっきりと存在してると肌で認識できるのがこの時期です。

今回は、世界の貧困化が問題にされ、マルクスを開催中ずっと読み続けるというビエンナーレ、この招待客たちの存在は、特に芸術が近年面している問題を特別明らかに浮き上がらせてる感じでした。

ジャーナリスト、Nanni Delbecchiはこう書いています。「すでによく知られているのは、今日では美と醜いものを区別するのは、成り上がり金持ちと不能な専門家だけになってしまったということだ。美しいものが美ではなく、アートギャレーリ家の好きなもの、特に巨大なアートコレクター、そのファウンデーションが好むものが「アート」になった。「個人的な視点」さえすでに超えられたコンセプトになったと言っていい。気狂いでない限り、自分の家を、6っつの運河を漂流していく巨大なインスタレーションで飾ろうとはしない。気狂いか、でなければメチェナーテ(芸術庇護家)になろうと意図する狡猾な大富豪だけだ。物質的な視点から考えれば、こういう芸術はゴロバリゼーション化された今日の資本主義のイメージの反映だと言っていい。本当に実際今日、パラッツォ グラッシ、プンタデッラドガーナ、ドイツ商館など、ヴェネチアのあらゆる場所が大きなショールームになって、芸術は反資本主義を発見したのだろうか?、資本主義によって反資本主義が証明されたのだろうか?実際は最も記憶すべきパーフォーマンスは、船バス駅が、宝石と、ストラスと、スモーキングで、あんまりにもいっぱいなって、プラダ ファウンデーションの招待客が夜のラグーナに落ちて泳ぐことになってしまったことだろう。」Delbecchiはイタリアの有名な喜劇俳優、パオロ ヴィラッジョの演じる有名な主人公、*ファントッツィを引用しながら、おかしく皮肉に書いています。(新聞「Il fatto quotidiano」/「マルクスを読む都市」 Nanni Delbecchi 9-05-15 から)

このジャーナリストの見解の中には、コンテンポラリーアートが美や調和をを否定した方向に向かったところから生まれたという前提がはっきりとは示されていませんが、芸術に美を求めるのは、今日でも芸術に関する一般の人々の見解であるのは否定できないことです。コンテンポラリーアートは芸術自身をも否定したところから生まれているにもかかわらず、有名になったアート作品の金銭価値は芸術として上がっていくという矛盾を含んでいます。今日では、有名であることと芸術は同義語になってしまいました。有名になるためには多少の才能は必要ですが、金銭や権力が何よりも第一条件になってしまったのが今日の現状です。

公の資金で行われるビエンナーレ、権力につながっている人々以外は展示できないシステムになっているのもほぼ事実です。このほとんど「公」のアート、アートがアートでなくなった今でも、アートとして扱われている限りは、アートというモラルからは大きく離れてしまっているのは否定できない事実です。特に今回のようにマルクスを読み続けようとするビエンナーレ、この芸術の対面している根本的な矛盾への非難は避けえないでしょう。

 

Geoff Dyerは小説「ヴェニスで愛、ヴァラナジで死」の中で、この宝石と、ストラスと、スモーキングのビエンナーレ招待客達の、このハイクラスの人々のひもじさでいっぱいのすざまじい空洞を描いています(これを書いた本人の意思ではないかもしれませんが)。

 

*ウーゴ ファントッツィ/パオロ ヴィラッジョの演じる主人公: イタリア映画の中でもっと評価されるべきなのがイタリア喜劇映画です。19 70年代の中期からパオロ ヴィラッジョは経理士ファントッツィ(といってもウーゴ ファントッツィは単なる経理の事務員ですが)の人物の中に、イタリアの経済成長期が生んでいく矛盾を最も面白おかしく、アイロニカルに、時には、びっくりするような人間味をも込めて、演じ出します。権力(上司)に平伏すファントッツィは、もっと狡猾に権力に従う同僚の間で、この経済成長の残忍な容赦ない波に巻き込まれた不運で、不能なサラリーマンです。この経理士、ウーゴ ファントッツィのグロテスクに描かれる通俗な冒険は、ある意味でこの時期を生きた人々の集団体験といってもいいもので、単なる一時期の喜劇を超えたものがあります。また喜劇としても、ヴィラッジョの素晴らしい演技、何度見てもお腹を捩って笑える面白い映画です。

(最初の映画「ウーゴ ファントッツィ」は1975年に上映されます。)

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「悲劇的なファントッツィ」二部

 

 

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夢の夜、古代ローマ/フォーリ インペリアーリ(古代ローマ、皇帝広場)の照明

夢の夜、古代ローマ/フォーリ インペリアリ(古代ローマ、皇帝広場)の照明

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4月21日、ローマは生誕記念日を祝福しました。

伝説によれば紀元前753年に生まれたローマ、今年で2768年を迎えます。

この祝日を記念して、ローマでは4月21日から24日まで、フォーリ インペリアーリ(古代ローマ、皇帝広場)が、夜中照明され続けます。

長くプロジェクトされていたこのフォーリ インペリアーリ(古代ローマ、皇帝広場)の照明は、Vittorio Storaro (ヴィットリオ ストラロ)とその娘Francesca Storaro の手によるものです。

Vittorio Storaro (ヴィットリオ ストラロ)は、フランシス コッポラの「アポカリッセ ナーウ」ウォーレン ベエーティーの「レッズ」ベルナルド ベルトルッチの「ラストエンペラー」など、どれもオスカー賞をとった映画のフォトディレクターです。

フォトディレクターというのは日本では知られていませんが、映画を作る際には、監督と並んで最も重要な役です。照明効果を決めるのが役ですが、アングル、カメラの動き、画面の効果など、最も重要な芸術的な部分を決めていきます。もちろん照明技術を知っていることが大事ですが、単なる技術士ではなくアーチストそのものです。

光のことをストラロはこんな風に語ります。「誰も彼も人生の中で、両極の均斉をさがします。私はこの世界が分極しているのにいつも驚いてきました。男/女、夫/妻など….昔を振り返ると私は幻想家だったと思います。最初はすべての一つだったものが、ある時二つの要素に分かれるのです。「神統記」のヘシオドウスのことを考えています。光と闇、この二つの一つ一つを使うことによって、あらゆる両極、反対物、多様性をシンボリック(象徴的)に表現できることを見ました。それだけではなく、深く探究していくうちに、光は闇からさらに分別することができることを発見しました、こうして、薄明かりというものを発見しました。ここからさらに分析を続けていくと、光は自然光と人工の光に分かれ、これは意識と無意識の世界、善と悪、昼と夜、月と太陽などを象徴することができます。一つ一つのもののその威厳のある表現にたどり着くために、常に光を分解し、分析していく試みを続けてきました。…..」(ストラロへのインタヴューから)

これだけ光に対する深い理解を持ったヴィットリオ ストラロの照明が光り当てる夜のフォーリ インペリアーリは、夢のようなかってのローマを浮き上がらせます。アウグストゥスのフォールムはアウグストゥス帝のもたらした平和を象徴して、包み込むような光、トライヤヌス帝のフォールムはこの皇帝の時代、大きく領地を拡大したローマを象徴して広大に照らし出す光など、ストラロは光で古代ローマの時代を描きだしてくれます。

これ以降も毎晩朝まででではありませんが、夜のフォールムの照明が続いていきます。ローマを訪ねる人には欠かせないアポイントです。

下記のような夜のこのフォーリ インペリアーリを見に行く観光アポイントもあります。

http://www.romeguide.it/visiteguidate/forinotturni/foriimperialivisitegep.php

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ミケランジェロのダビデ/世界一の彫刻

 

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ミケランジェロのダビデ/世界一の彫刻

今日でもこの彫刻の前で周りを見回すと、「ダビデ」だけを見上げているツーリストたちの夢を見ているような視線でいっぱいです。天上からかいま飛び降りた本当の天使、あるいは遠い宇宙から突然やってきた初めて見る宇宙人を見つけたような驚きに満ちた視線です。もっとも単に有名だから見に来たという関心の少ない視線も中に混ざっていないわけではないのですが。(芸術品を楽しむには「知る」ことが必要です。美しさに感動するには感覚が必要です。)1時間以上並んだんだから写真だけは取るぞというような挑戦的にマニアックな人もいないことはないのですが。

それでも今日でも多くの人々が持つことのできる印象はやはり深い驚きと感動です。

「本当に、この作品は現代、古代、ギリシャであれ、ローマであれ、あらゆる彫刻から名声を奪った。……………… ミケル アニオロ(ミケランジェロ )は実に素晴らしい美と均斉と優雅さをこの彫刻に実現した………かってこのように生き生きとした手や足や頭、四肢が、素晴らしく彫られれ、全体の均斉がここまで表されたことはなかった。この彫刻を見た人は、現代のものであろうと過去の時代のものであろうと、ほかの作品を見る必要などはもうない。」こう言っているのはジョルジョ バザーリです(芸術家列伝)。

1494年ミケランジェロはフランスの侵入を避けてフィレンツェを後にします。ヴェネチアとボロニア滞在後、1496年からローマに住んでいます。

1501年、26歳のミケランジェロは、この2年前「ピエタ」を完成し、ローマではもう押しも押されもしない引っ張りだこの彫刻家ですが、この年ににフィレンツェ共和国からお呼びがかかります。再び故国に帰ったミケランジェロは長年望んだ石に挑むことができます。

「ダビデ」が創られる大きな大理石は実はミケランジェロが生まれる前から、フィレンツェにあったものでした。アゴスティーノ ディ ドゥッチョ(1418-1481)がかって、フィレンツェの大聖堂サンタマリア  デル フィオーレから発注を受けて巨人を彫るはずでしたが、最初に切りを入れた石切師の間違いで、取り返しのつかない切り方がされ、他の彫刻家もその前でどんな像を彫ることも諦めた「死んだ」石と言われていた大理石でした。サンタマリア  デル フィオーレの倉庫の中に保存されていたこの石をそばでよく調べたこともあるミケランジェロ自身が、この中に埋め込まれている像があると長年言い続けていた石でした。

「ダビデ」が保存されている同じアカデミアにあるミケランジェロの未完成の彫刻「プリジョーニ」(牢獄という意味/像が石の中に閉じ込められているようなのでこの名で呼ばれている)などを見てもわかりますが、ミケランジェロは、石の一部の表面から形を出し始め、確かに中にある像を少しづつ自由にしていくような感じで彫って行きます。最初にモデルを作り、それに合わせて石を大雑把にに切り、そこから細部を彫っていく方法とは全く違ったものでした。モデルはもともとまるで石の中にあるような感じです。ミケランジェロ自身が彫刻家の義務は「余分なものを摂っていくことだ」と言っています。まだはっきりとは現れていない、まだ無意識の中に沈んでいる直感のモデルに導かれていくように、ミケランジェロの作品の秀絶さは、鑿(のみ)を入れていくその一つ一つの打ち方が、目の前の石との戦いであるようなこうした方法の中にもあるのでしょう。

アゴスティーノ ディ ドゥッチョが切り間違えた部分はミケランジェロはダビデの足を少し後ろに引かせます。約3年間ほとんど人には見せることを拒否し、隠れるように、夜も昼も仕事場に閉じこもって、ミケランジェロはこの像に挑み、彫り続けます。

こうして死んだと言われていた石から生まれたのが奇跡の「ダビデ」でした。

1400年代、フィレンツェは世界の文化の中心と言っていい町でした。このフィレンツェでルネッサンスが生まれます。歴史的ないくつかの出来事、メディチ家の大きな経済力、その頃知識や芸術が権力と同義であり、メディチ家のそばに最も重要な新しい思想家、才能のある芸術家が集められミケランジェロの育つ思想的な土が用意されていたこと、特にこのフィレンツェで生まれる1400年代の「この地上」を見つめる現実的な視線(中世は神だけを天上だけを見つめてきました)が生み出すミケランジェロ以前の芸術家たちの自然と命に敏感な作品の影響、ロレンツォ ディ メディチのコレクションやローマでミケランジェロが学ぶことができた古代ギリシャローマ時代の彫刻との出会い、ミケランジェロ自身の持って生まれた天才的な才能、こうした幾つかの要素の偶然的な出会いがなくては決して生まれえなかったこの奇跡の彫刻です。

どこに設置するか長い間ディスカションがされた後、フィレンツェの行政の中心だったシニョリア広場パラッツォ ヴェッキオの前に置かれることに決定されます。これはミケランジェロのもともと望んだことでした。共和国の象徴としてこの古代の英雄、ダビデ像は、フィレンツェの共和国制を守るのだとミケランジェロは主張します。

ミケランジェロの生きた時代は最も刺激的な時代でしたが同時にとても難しい時代でした。ドミニコ会サヴォナロラは、ほんの数年前、フィレンツェで生まれたあらゆる新しいルネッサンス文化(この文化がこの名前で呼ばれるのは後期ですが)の表現を「異教」として非難し、この異教のフィレンツェにこのままでは神の罰が下る日は近いと人々を恐怖のどん底に落としたばかりでした。結果としては、政治的な工作もあって、サヴォナロラ自身が異教者として、火で焼かれることになりますが。古い中世はまだ死んだわけではなく、新しい時代との戦いは血みどろになって、やっと始まったばかりと言ってもいい時代でした。心ある人々は新しい時代への希望に震えますが、同時に深い疑惑を取り去ることができたわけではありませんでした。これはミケランジェロ自身の希望と懊悩でもありました。

この「ダビデ」の前に立つとこのミケランジェロの陶酔と苦悩がひしひしと伝わってきます。美は神であるはずだと考えます。ダビデは神から選ばれた正しい系列、マリアの祖先です。「前キリスト」です。そのダビデを表すには完全な美でなければならないはずです。それゆえ、ミケランジェロは一番美しい肉体を削り出します。その完全な美しい裸体ゆえ、いつまた恐ろしい非難の対象になるかわからない古代からの美です。それでもミケランジェロは美を追い続けます。それはもう石の中に閉じ込められているのです。ミケランジェロはそれを自由にする手でしかないのです。

この深いインスピレーションと葛藤の間から美しい生きた「ダビデ」が生まれます。従来のイコノグラフィーとは違って、ゴリア(ゴリアテ)の切られた首がそばにない、フィオンダ(石投げ器)を持っただけの、体に何一つまとわない無防備なダビデす。しかし勝利を疑わない、全く敵を恐れない、深く集中した「ダビデ」です。

もともとあまり質の良くないこの大理石で作られたダビデは、数世紀、外気に耐えますが、もう1800年代にはそのままシニョリア広場には置いておけないほど損傷のひどい状況になっています。1873年、この時もいろいろなディスカッションの後、「ダビデ」はその頃は絵画学校だったアカデミアの中に移されます。シニョリア広場にはダビデのレプリカが設置されます。

「ダビデ」の深い意味を知るには、今日でもシニョリア広場の中での「ダビデ」を見ることも欠かすことができません。

フィレンツェはまだ実質的な共和国制を生み出していません。形としては共和国制政治の下で実際動いているのは権力のあるファミリーの個人的な利害と汚職です。メディチ家はまだ追放中です。この不安定さ、混乱の隙を狙って街を征服しようと諸外国は目を凝らせています。そうなればフィレンツェの最期でした。

「ダビデ」は街を守る英雄です。この母国に対する愛と祈りもミケランジェロが「ダビデ」の中に彫り込んだものです。

アカデミアの中でこの力強いオリジナルの「ダビデ」をそばで見た後、シニョリア広場で「ダビデ」を見ると、ミケランジェロのこの祈りと希望の力強さを肌で感じることができます。これほど長い時間が経った後でも、「ダビデ」は今でも確かにフィレンツェを守り続けているかのようです。

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